楽曲解説
#0 very first time
始まりの、その始まり
すべての種類のYes All the kinds of yes (2005)
我々は自由な音楽を獲得しようとどれほどの「否定」を積み上げてきただろうか。かといって楽観的に「肯定」を連ねたところで、渾沌のただ中で価値を与えられてきた音楽は今までのようにるつぼの中にあるばかりだ。
では、あえて彼岸を眺めながら「Oh,Yeah・・・(う~ん、これこれ)」と言ってみるのはどうだろう。
感情の復権? yee,es!!
楽曲中の「yes!」は肯定や反否定のそれでもあり、それ以上に身体からの感嘆詞なのである。
#1 James Tiptree Jr
ジェームズ ティプトリー ジュニア
男たちの知らない女 The women men don't see (2009)
73年に書かれたこの小説は主人公の男性の一人称で語りすすめられる。知的ではあるがマッチョな思考回路を持つアメリカ人男性がいかにも考えそうな内心と、すべてに「そつなさ=無関心」を装う女性の不思議な平行線。そして最後に彼女たちは、何もわかっちゃいない男たち(=地球のしくみ)を捨てて旅立っていく。エイリアンとともに。
男性の筆名を名乗りながらも、女性アリス・シェルドンの奥底にある男性社会へのあらがい/諦念が通奏低音となって流れていく。
私はこの曲で「決してアンサンブルの成立しない連弾曲」を構想した。連弾プリマの弾く音型は点字の仕組みを12音に置き換えて配置してあるのに対し、セコンダは奔放な音型で構成されている。
同じ時間を共有しても何ひとつとして結実できないという敗北感、そして疎外感。
小説は言う。
「この世界のしくみはすべて男が作ってきた。そしてそれはこれからも決して変わらない。」
Tuning with John (2000)
「John who? Cage?Lennon?」とアメリカ人の音楽評論家は尋ねてきた。
私はニヤリとして答えた。「" John " Sebastian Bach!」
この曲はバッハ没後250年の年に書いたものである。
平均率クラヴィーアにちなんで、左手は調律師の手順によって完全音程から整えられていく。
よって12回オクターブが出たらおしまい。
右手はバッハが書き残した装飾音の一覧表をすべて使い、低音部の調性感に添って次々と転調する。
たったひとつの冴えたやり方 The only neat thing to do (2009)
なによりも理屈抜きでこのタイトルに魅せられる! 人生の中で1回でも「これがたったひとつの冴えたやり方!」と
確信する瞬間にめぐりあうだろうか?
一人で宇宙旅行をする少女。眠りから覚めると脳に「もうひとつの存在」が寄生していた。
「彼女」と文字通り一心同体となった少女は互いのために太陽に飛び込んで心中する道を選ぶのだった。
「これがたったひとつの冴えたやり方」と言いながら。
ティプトリー・ジュニアは最期に、アルツハイマーを患った夫を銃で打った後自らも同じベッドで自殺した。
そしてそれを知らされた時、世界中のファンの脳裏にこのタイトルが去来したであろうことは、間違いない。
少女@プラグイン The girl who was plugged in (2000/2009)
邦題は「接続された女」。完全無欠のヒューマノイド(ひとがた)に接続され、遠隔操縦キャビネットの中で恋をする醜い少女の悲しい物語。サイバーパンクを先取りした作品と名高く数々の賞を受賞した。
ne me quitte pas(ジャック・ブレル=野澤美香 2009)
永遠の別離、それを受け入れた後に訪れる真空のような平穏・・・。
「行かないで」という邦題で知られるシャンソンを下敷きにして、はるかなる宇宙空間で帰郷を断念するヒューマンの心情を夢想してみた。離れていくのは自分たちではない。故郷の青い星だ。
将来を夢見た蜜月の幸福な思い出は、まだ地球が豊かだった頃の話しかもしれない。
春はいつか終わるから美しい。恋も。
#2 Exoticism
どこか別の場所へ・・・
「超境/異国趣味(エキゾティシズム)ふたたび)」
そして最後の船はいく And then last ship is going (2010)
帰るところのない人間は日々何を思うのか。
行き先のない人間は何を糧に行き先を考えるのか。
私、そしてあなたに今「安住の地」があるとしたらそれは錯覚である。
そこはいつものベッドだろうか、それとも慣れ親しんだ音楽のロジックだろうか?
「ここは私の居場所ではない」。
自分のソサエティにこっそり背をむける時私はいつもそう思う。
しかし1%の違和感はむしろ、99%の親和性を成就させるためのものとして。
乗った人も乗り損なった人も、見送る人にもいつも小さな違和感を抱かせながら、
船は離陸していくのだ。
Brazil (アリィ・バホーゾ=野澤美香 2010)
実はラテン音楽はまったく知らない。聴けば聴くほど私はラテン音楽を知らないと思う。
挑発的で退廃的、こんなにも魅惑的なラテン音楽を私は断じて知らない。
そしてずっーと知らないままでい続けたいのだ。
その「民族」だけが共有する厖大な経験の消費があってこその「民俗」音楽を、自分の中でこっそり味わう夢想をここに。
いつかこの星の裏側に答えを求めて旅立ったりするのだろうか? ブラジル。